旧ユーゴスラビアに魅せられて...

高校生の時、大学に行ったら休みを使って東欧(旧ユーゴスラビア地域)に行きたいなと漠然と思っていました。当時、僕は世界史選択の受験生。世界史の教科書にたった2ページだけ載っていた「ユーゴスラビア紛争」に関する記述を見てからのことです。しかし、当時の世界史の先生がユーゴスラビア紛争を授業で扱うことはありませんでした。

「なんでたった20年前の紛争なのに授業しないの?」
「試験にでないからなんだろうけど、これじゃこの地域のこと全然分からないよ...」
「じゃあもう行くしかないな!」
こんな高校生ほかにはいないでしょう(笑)。そして旧ユーゴスラビア地域について調べれば調べるほどその魅力に浸っていくことになるのでした。
東洋へ入学後、大学1年の夏休みは英語学習のためにニュージーランドへ赴き、次の春休みは予算の都合上国内旅行に留めました。
そして綿密な下準備のもと、大学2年の夏休みに念願の旧ユーゴスラビア地域の国全ての訪問を実現させました(ついでにアルバニアやブルガリアも行きました)。イタリアから入り、トルコへ抜けるルートで。同時に人生初のバックパッカー旅行でした。
ユーゴスラビアは異なる宗教を持つ民族らによる血みどろの戦いによって7ヵ国(スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、コソボ、マケドニア)に分離・消滅した歴史を持ちます。特に激戦区のサラエボ(ボスニア・ヘルツェゴビナの首都)へ行けば大量の死者の墓、銃弾の痕を今でも見ることができます。ベオグラード(セルビアの首都)へ行けばNATOの空爆を受けた政府庁舎が今でも残されています。

(サラエボの戦争犠牲者墓地)

(NATOの空爆を受けたベオグラードの政府庁舎)
「俺は戦争を経験したよ」
「今は紛争は無くなったけど今でも互いに民族同士いがみあってばかりさ」
「でも何とかうまくここまで復興できた、もう戦争なんてごめんだね」
セルビアの宿で出会った若い男性オーナーが僕に語ってくれた言葉です。絶対に忘れることができません。
僕はこの旅行を機に世界のいろいろな場所をこれからも訪れようと決心しました。机の上で勉強しているだけでは世界のことは分からない。現場を見ないでその国を語るのは失礼だと気づいたからです。そして何よりも旅の中で繰り広げられる一期一会が非常にたまらなく、まるで禁断症状のように「また旅に出たい」、「また未知との遭遇をしたい」と感じるようになったのです。
こうして2年の春休みには東南アジアへ、そして3年の夏休みはアフリカ&中東(超安全なところ)へ。バックパッカー以外に訪れた国を合わせて現在、訪れた国・地域は35ヵ国になりました。

「でもやっぱおれ、東欧が好きだな」
これは今の僕自身が率直に思っていること。いろいろ旅していて気がつきました。自分がバックパッカーをするきっかけを与えてくれた東欧、とりわけ旧ユーゴスラビア地域。そして未だ訪れていない東欧の国々に行きたいという素直な思い。物価も安いし、もっと多くの人に東欧の魅力を知って欲しい。出来ることなら何だってやります(笑)
そして次の旅行はもう一度東欧へ行くことに決めました。行先はまだ訪れていない東欧の北側。ポーランドやバルト三国を見てきます。時間の都合で次の旅行で訪れることはできませんが、ゆくゆくは東スラブ地域(ロシア、ベラルーシ、ウクライナ)やコーカサス地方(ジョージア、アルメニア)も訪れたいです。相棒のNikonと共に。
次回の記事では旧ユーゴスラビア構成国の詳しい紹介をしていこうと思います。そしてもし、この記事を読んでいる方で東欧に行ってみたいと思っている方がいればお気軽に僕にご連絡ください。全力でサポートします!