今さら聞けない? コソボって何?
皆さんこんにちは!バックパッカー写真家のKです!
このたび2017年の春休みは大好きな東欧の未訪問地域を中心に巡っておりました!
そして無事帰国し、写真整理に没頭している次第であります。
新たな発見もあり、学んだことも多々あります。とりわけポーランド、リトアニアに赴いてユダヤ人虐殺の歴史を現地で学べたことは貴重な経験でした。それからウクライナにもちゃっかり行ってしまい、旧ソ連感が未だに滲み出るその国を楽しんできちゃいました笑
それに関する記事を書きたいところではありますがバルカン半島の国々、とりわけ旧ユーゴスラビア地域に関してまだまだみなさんに知って欲しいことがたくさんありますので別の機会に。
さて、みなさんは「コソボ」をご存知でしょうか?
始めて聞いたって人も名前だけは知っているって人もいるでしょう。
もう少し詳しい人だと「コソボ紛争」というワードが出てくると思います。世界史マニアなら「コソボの戦い」もかな笑
単刀直入に言うとコソボは国の名前です。バルカン半島に位置し、2008年に誕生したヨーロッパで一番新しい国家です。しかし、いまだにEUはおろか国連にも加盟をしておらず、国連加盟国の中でコソボを国として承認している国は193ヶ国中111ヵ国に留まります。
ちなみに日本は承認しています。日本人としてぜひ知っておきましょう。
そんなコソボの場所はここです↓
↑コソボと周辺国の地図(出典:旅行のとも、ZenTech)
セルビア、マケドニア、アルバニア、モンテネグロと国境を接しています。
その国境を接しているセルビアから独立したのがコソボになります。
セルビア共和国時代にはコソボ・メトヒヤ自治州(Аутономна Покрајина Косово и Метохија)と呼ばれていました。
セルビアは現在もコソボを自国領土と扱っており、セルビアが発行している地図には現在もコソボの国境線は描かれておらず、コソボ・メトヒヤ自治州とのみ描かれています。
しかし、現在のコソボ(コソボ共和国)は国家を構成する三要素(主権・国民・領土)を満たしており、セルビア共和国側の支配はすでに及んでおりません。なので実質的な独立国家と呼べるでしょう。
コソボがセルビアから独立した背景には「コソボ紛争」があります。
コソボ紛争とはざっくり言うと、「コソボに住む多数派のアルバニア系住民が少数派のセルビア系住民&政府による支配に対抗して起きた紛争です」
そう、コソボはセルビアに属しながらもアルバニア人が多い地域だったわけです。
コソボにアルバニア人が多く住むようになる最初のきっかけは「コソボの戦い」です。これは1389年に起きた当時のセルビア王国とオスマン帝国による戦い。
↑コソボの戦い(出典:世界の戦争・歴史ブログ)
この戦いではオスマン帝国の君主ムラト1世がセルビアが放った刺客によって暗殺されたものの、その息子バヤジトの猛反撃によって最終的にオスマン帝国が勝利し、領土を広げました。
↑オスマン帝国の領土拡大図(出典:世界の戦争・歴史ブログ)
コソボの戦いによってオスマン帝国の領土がバルカン半島へ拡大したことにより、アルバニア人のコソボへの入植が進むようになりました。アルバニア人はオスマン帝国からもたらされたイスラム教を積極的に受け入れたので、帝国内で優遇されていたためです。
20世紀に入るとコソボは再びセルビア人側の支配下に入り、ユーゴスラビアの一部となります。
(話が長くなっちゃうのでそれまでの歴史は割愛♪)
以前の記事でユーゴスラビア紛争に関して紹介しましたが、コソボ紛争はそれに乗じて発生した紛争です。セルビア側の支配を拒んだアルバニア系住民の一部がコソボ解放軍( Ushtria Çlirimtare e Kosovës)と呼ばれる武力組織を組んで争いました。
NATOがコソボ側に味方し、セルビアを空爆したことでコソボ紛争はコソボ側(アルバニア側)の勝利で終わりました。現在のコソボは住民の大半がアルバニア人。紛争前は一定数セルビア人も住んでいましたが紛争によって国外避難民となるのを余儀なくされました。
↑コソボの独立を喜ぶアルバニア人の子ども(出典:人類猫化計画)
僕は2015年の夏にコソボへ行き、計3つの都市(プリシュティナ、プリズレン、ペヤ)を訪れています。
「え?コソボって紛争のとこでしょ?危なくないの?」
って思う人もいるかと思いますが、住民の大半がアルバニア人となってしまったため、武力衝突は全くありません。(いつ何が起きてもおかしくはありませんが)
ここからはコソボ旅行を紹介↓
↑ペヤ市街(出典:Pinterest • The world’s catalog of ideas)
まずコソボへの入国は隣国モンテネグロからでした。というのもセルビアから直接入ることに不安を感じていたので第三国を経由していこうという思惑がありました。セルビアから直接入ることも可能なようですが国境越えに時間がかかるようです。モンテネグロの首都ポドゴリツァからコソボのペヤまではバスで3時間くらいだったはずです。ペヤ(Peja)はアルバニア語名でセルビア語ではペーチ( Peć, Пећ)と呼びます。モンテネグロはセルビア語を話すので窓口で買うときはペーチと呼びましょう。
↑ペーチ修道院
ペヤを訪れた目的はこの真っ赤な修道院。セルビア正教のものです。コソボは歴史的なセルビア正教の建物が多く、それがセルビアがコソボを自国領土とする主張の一つになっています。日本で例えれば京都や奈良が違う国ものになっているって感じなのかなあ? 複雑。どことなく白メガネが行ってたイスラエル・パレスチナ問題にも似ているかもしれません。
ここはセルビア人の修道女さんが今でも管理しています。ただし住民の大半がアルバニア人となった現在、危険なのでNATO軍が周りを警備していました。パスポートを預けないと中に入れません。そしてなんとこの修道院には日本語のパンフレットも置いてありました! よく日本人来るのでしょうか?笑
続いてコソボの首都プリシュティナ↓
↑マザーテレサ教会から見たプリシュティナ市街(出典:無気力旦那を引きずり世界一周( `ー´)ノ )
ここは言わずもがな都会でした。マザーテレサ教会からの眺めです。僕が行ったときは入ることが叶わなかったので個人ブログから借用。
ちなみにマザーテレサはアルバニア人なんです。インド人じゃないよ!!!!!
↑プリシュティナ旧市街
こちらは旧市街のようす。旧市街って言っても中途半端に新しい感じは否めなかった笑
オスマン様式のモスクがたくさんありました。こうして見るとヨーロッパってよりも東南アジアに雰囲気は似ているかも。客引きの多さや闇の両替商にたくさん会う感じは完全に東南アジア。
ちなみにプリシュティナにはこんなのもあります↓
↑(出典: 無気力旦那を引きずり世界一周( `ー´)ノ )
ビル・クリントン像w
クオリティはまあwww
ついでに街の通りの名前にジョージ・ブッシュ通りってのもあります。なんでこんなものがあるかというとコソボが独立したのはNATOのおかげ=アメリカのおかげみたいなのがあるんでコソボ人(アルバニア人)はアメリカが大好きなんです。だから建ててしまった(笑)
↑古都プリズレン
最後に訪れたのは古都プリズレン。プリシュティナよりも観光地といった感じ。
写真の大きなモスクはスィナンパシャ モスク。オスマン様式の立派なモスクです。写真左上の城塞から街を展望することだってできます。
実は僕のこのプロフィール写真はプリズレンの城塞で撮りました。
現地で出会い、行動を少し共にしたコリアンに撮ってもらったもの。相変わらず旅先ではコリアンに見間違えられます(笑)。でもおかげで仲良くなれるから良し。
プリズレンを観光したあと僕はアルバニアへと向かいました。両国を旅した僕に言わせればコソボとアルバニアはほとんど変わりません。コソボは既にアルバニアの弟みたいな存在になっています。
そしてアルバニアとセルビアは日本人には想像つかないほど互いに嫌いあっています。
例えば2014年にはサッカー欧州選手権の予選で両者が試合を行いましたが、試合中に乱闘が発生し、没収試合になったりしています。また、最近では「コソボはセルビア」と文字がラッピングされたコソボ行きの列車をセルビア政府が走らせ、コソボの治安部隊が出動するといった事件もありました。
日本人にはあまり馴染みがないですし、日本人にはどうすることもできないですが、少なくともコソボで何が起きているのか、知っておきたいところですね。そして実際に目で見に行くとなお良いでしょう。
ということでコソボに関して皆さんに知った欲しいことは以下↓
・コソボは行ける
・コソボは安全(いまのところ)
・日本はコソボを国家承認している
・コソボはほとんどアルバニア
・コソボはアメリカが大好き
・アルバニアはセルビアが大嫌い
です!
最後に、コソボへの思いが分かるセルビアの歌を紹介!
題名「コソボはセルビア」
セルビア軍歌とのことです。内容が過激すぎるのでおそらく非公式だとは思います。民族主義者が作ったのでしょう。そしてなぜだか北朝鮮の軍歌の替え歌になっています。
(出典:https://www.youtube.com/watch?v=ca5wKP8vtMQ)
北朝鮮感すごいなwww
こうやって書くと何だかセルビアが悪者みたいに見えてきますが、あくまでも政治の話です。
個人的な印象として実際のセルビアはとても穏やかな印象を受けました。
そして彼らは彼らでまた辛い出来事を経験しております。
東日本大震災においてヨーロッパで一番多くの義援金を出してくれたのも他でもないセルビアです。
これは日本人として知っておきたい。次の記事でセルビアのことも書こうと思います。
日本は幸運なことにセルビアともコソボともアルバニアとも良好な関係にあります。
これはぜひ今後も守っていきたいですね。
余談かもですがコソボはとても美女の多い国でした!
↑2013年ミスユニバース・コソボ代表のMirjeta Shalaさん(出典:Eye For Beauty)
こんな感じの人がたくさんいますよ!!!
【参考資料】
コソボの戦い・対オスマン連合軍の敗北, 世界の戦争・歴史ブログ, 2014年12月07日付
http://kh16549.blog.fc2.com/blog-entry-126.html
コソボ問題 わかりやすく, (1999)
http://hb6.seikyou.ne.jp/home/iura/kosovo.htm
コソボが独立宣言!, 人類猫化計画, 2008年2月付
http://tekcat.blog21.fc2.com/blog-entry-572.html
「民族主義」が潰したサッカーEURO「セルビア×アルバニア戦」…悲劇は1機のラジコンヘリから始まった, 産経新聞記事, 2014年11月02日付
http://www.sankei.com/premium/news/141102/prm1411020001-n1.html
列車に「コソボはセルビアです」 緊張高まる, 毎日新聞記事, 2017年01月16日付
http://mainichi.jp/articles/20170116/k00/00e/030/134000c