ユーゴスラビア成立と解体の歴史
東欧の事なら任せとけ!!!
って勝手に思ってるバックパッカー写真家のKです!
今回は2回目の投稿♪ってことで旧ユーゴスラビアの紹介をしていこうと思います。予定では構成国に関して1つずつ解説することになっておりましたが、何よりもまず歴史を紐解いてから現在に関する解説に移していきたいのでそうさせてください。
まず皆さんに知って欲しいことは現在、ユーゴスラビアという名前の国はありません。だから旧を付けて僕は呼んでいますし、世間でもそう呼ばれているはずです。昔あったユーゴスラビアという国を母体に持つ現在ある国、総じて7ヵ国(国か否かの論争を含む)に対して使われる名称です。
その7ヵ国はずばりスロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、コソボ、マケドニアです。念のためもう一度言います。スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、コソボ、マケドニアです。僕が社会科の先生ならテストに出すのでぜひ覚えときましょう。1日数回唱えれば3日で覚えられます。
国旗からその7ヵ国を地図で表すとこうなります。左の細長いやつはあの有名なイタリアですね。見てのとおり旧ユーゴ構成国のスロベニアはイタリアと国境を接しています。しかもヴェネチアからほんの数時間で行けちゃうのです!さらにはスロベニアのすぐ北にはあの音楽の都ウィーンを有するオーストリア。そして一番南にある旭日旗のような国旗はマケドニアの国旗で、そのマケドニアの南にギリシャがあります。そう。旧ユーゴ地域は名の知れたヨーロッパに挟まれたマイナー地域と言えるでしょう。ちなみに先ほどちらっと述べた国か否か論争中の地域がコソボです。マケドニアとセルビアの境にある薄く塗られた部分。薄く塗られているのはもちろん論争中だからです。
旧ユーゴを知るうえで大切なのは宗教です。宗教の違いが民族のアイデンティティを作り上げましたし宗教の違いが戦争へと発展しました(ユーゴスラビア紛争)。もう少し詳しくユーゴスラビア紛争が何なのかざっくり言うと、もともと同じ国にいた違う民族がそれぞれの独自の国家を持つために戦った戦争です。では何故違う民族同士なのに同じ国に住んでいたのか?
それは違う民族だけど元々は同じ民族だからです。それはユーゴスラビアという名前に隠されています。ユーゴとは向こうの言葉で"南"、そしてスラビアは"スラブ人の国"という意味になります。つまりユーゴスラビアとは"南スラブ人の国"という意味です。南スラブ人とは現在のウクライナを主たる期限とするスラブ人のうち、西方への移住後に南側(主にバルカン半島)で定住した人たちのことです(他に北スラブと東スラブがあります)。
「宗教の違いによって分かれた民族、しかしそれをもう一度統一して宗教の垣根を超えた大国を作ろう」
これがユーゴスラビアのきっかけです。ユーゴスラビア誕生が1918年で当時は第一次世界大戦に翻弄されていた時代でした。そうした中でできる限り国を統一して国力を高めることが理想とされていたわけです。
↑ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の国旗
第二次世界大戦のさなか、ユーゴスラビアは社会主義の国へ変わります。有名なティトーさんが覇権を握っていた時代です。社会主義国家でしたがソ連とは早くから決別し、独自路線を歩みました。西側にも東側にも属さない非同盟運動の中核としてユーゴスラビア社会主義連邦共和国があったのです。
ソ連が崩壊し、東西冷戦が終わるとユーゴスラビアにも民主化と民族自決の機運が高まりました。そこでユーゴスラビアを主導していたセルビア人(一番人口が多い)によるセルビア人優遇政策に不満を持ったクロアチア人、ボシュニャク人が武装蜂起し、それに対しミロシェビッチ(当時の大統領)率いるセルビア人側が武力行使を行ったことによって内戦状態へ突入しました。このセルビア人側の行動を非難したNATOの国々はクロアチア人、ボシュニャク人側を支援する形でセルビアに対し空爆を行いました。
↑NATOの空爆を受けたベオグラード(セルビア)の政府庁舎
このNATOの軍事介入によってユーゴスラビアは分離・独立していくことになります。1991年にスロベニアとクロアチアとマケドニアが独立、翌年にはボスニア・ヘルツェゴビナが独立します(その後ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争へ至る)。
こうして現在のセルビア、モンテネグロ、コソボを合わせた地域がユーゴスラビアとしてその後も存続しましたが、2003年に名称をセルビア・モンテネグロへと変更します。2006年のサッカー・ワールドカップにセルビア・モンテネグロは出場していたので当時からサッカーのファンだった人は覚えているはず。しかし、そのワールドカップから程なくしてセルビアとモンテネグロは分離し、別の道を歩み始めます。セルビア人とモンテネグロ人に民族的違いは無いと言われるほど近い存在ですが、独立に至った経緯はセルビアにかけられていたNATO陣営による経済制裁をモンテネグロは嫌がっていたため、とされています。こちらはモンテネグロ側の国民投票により、無血で独立を果たすことができました。そしてこれによりユーゴスラビアの国家としての枠組みは消滅しました。
↑ワールドカップでのセルビア・モンテネグロ代表(2006年)
残るはセルビアとコソボの分裂ですね。ここからはユーゴスラビア解体の歴史とはまた違った歴史的経緯があります。コソボ紛争と言われるものです。未だにコソボの独立を承認していない国も数多くあるほど難しい問題です。このコソボ紛争に関してはまた別の機会に詳しく解説できればと思います。
次回は僕が旧ユーゴスラビアの中でも一番おもしろいと思う国であるボスニア・ヘルツェゴビナについて詳しく書こうと思います。まだまだ旧ユーゴスラビアに関する記事はたくさん書く予定です。あいにく明日から僕は東欧への旅に出かけるため記事の更新をする機会が減るかもしれませんが、旅先でできる限り時間を見つけて記事を書こうと思います。