タイ人が初めてヨーロッパいったよって話
タイ歴が長いのでいつもタイ人と呼ばれますが、ときどきハワイ人に間違われるとなんだか嬉しいCOZY(純日本人)です。
フィレンツェに行ってきました。
残念ながら旅ではなく、仕事です。
が、一人ですので、全身全霊をつぎ込む仕事時間以外(特に交渉時)は、一人の時間もあり、その時間は旅のごとく自分の関心の赴くままに街中を歩き回ります。むふふ。
初めての場所に行く時は、アドレナリンが出るね。
それは、おそらく、怖いから。
実は私はヨーロッパは初めてでした。
よって、事前学習もそこそこしました。フィレンツェに縁のある方々の話を聞きまくり、本も漁りました。
本の中で特によかったのが、黒田泰介先生の「イタリア・ルネサンス都市逍遥- フィレンツェ:都市・住宅・再生」(2011, 鹿島出版会)。街を歴史と生活の視点両方から描写していて、マニアックだが解りやすい。建築、都市計画に興味ある人おすすめです。
あと偶然にも、行きの飛行機で観たフィレンツェの舞台から始まるランドル教授の映画「インフェルノ(地獄)」も、想像力を掻き立てるのに役立った。
いやはやしかし、このいつも以上に(?)真面目にやった事前学習が、凶と出て、吉と出た。
いざ街に降り立ってみると、14世紀以降のフィレンツェを舞台とする、
文化の歴史、
血塗られた歴史。
事前に学んだストーリが、かたちとして目の前に、街中にあるわけです。
例えば
独裁的政治を批判し、民衆の絶大な支持を得た修道僧サヴォナローラの情熱的な説教の場であり、そして火刑にされたシニョリーア広場。なにより怖いのは、熱狂的支持者だった民衆が、手のひらを返したようにその火刑を見て嘲笑った空気。狂気。

かつての都市支配を示す数々の建築、紋章。そしてその栄枯盛衰を刻む傷跡。

軍事施設および有力家の権力誇示の象徴であった街中の塔。今ではリストアされて住宅になっているものもあり美しいシンボルでもあるが、そこに残る細長い窓は、牢獄の窓だったり、弓を射るための開口の跡だったわけです。

あちこちの絵画に込められた、人類への失望。地獄。罰。再生。


ふと見ると、今回泊まっているホテルの、壁に刻まれた年数、1596。。
深い。重い。
そして怖い。笑
ただ、フィレンツェのいいところは、
街にコンパクトであるので、何度も行ける。触れることができる。お祭りの時には、世界遺産というのにガンガン花火も打ち込んじゃう。街の生活に溶け込んでいて、それらはどこにいっても見つけることのできる、目印となりシンボルとなり、そして自分が今どこにいて何をすべきかを確認させてくれる、心に拠り所になる、というところ。
2〜3日もして、それらと生活をして、鐘の生音を聞き、怖さを乗り越えると、
もうこの街の一員になったかのような、満たされる気分にしてくれたのでした。
こう思えたのも、おそらく一人の時間があったからだなあ、と思う。
また、イタリア人の明るさも、前向きな力強さを感じさせてくれました。
ただ、フィレンツェで誰彼構わず明るいのは観光客と接客する人くらい。
雨が降れば傘を売り、晴れれば自撮り棒を売る移民がどこからともなく現れる。
裏路地には落書き、物乞いをするおばあちゃんもいる(他観光都市に比べて圧倒的に少ないですが)。
生活臭をもとめて郊外を歩きましたが、一面の路駐で台無しにされる住宅地の景観、お店の人も公園に座る人も歩く人も、どことなく暗く無口。昨年国際問題となったイタリア銀行危機に現れるような、経済不況、社会不安を感じさせる要素もいっぱいみえました。




都市、地域を知ること、みること、体験することは、自分のなかの価値観をゆさぶる、よい機会ですね。
今回、フィレンツェ大の女性の先生と話した時に、
色々新しいこと企画してやりたいね〜
フィレンツェにも課題がたくさんよ〜
と盛り上がったうえで、
はあ、と一呼吸おき、
「There are many global issues, because of global.」
と遠い目で言った先生の言葉。
「グローバルのせいで。」
グローバルの見方も、どんどんゆさぶっていこう。
と思って書いているミュンヘン空港乗り継ぎ待ち時間(5時間、長)でした。
さ、ビールのも!
みなさんどうか気をつけて、いっぱい勉強して旅に出てください。

おまけ:最後の晩餐(アジア恋しー!)
今回得た私の哲学
『旅の羅針盤となる本をみつけよう。ただ事前学習はほどほどに。』