愛知県の自動車工場は稼げる
東洋大学、国際地域学部1年、TAKUROです。
(出典:(株)コーリツ)
私は23歳の時に九州から愛知県の自動車工場へ上京
私が地元から愛知県へ上京し自動車工場で働き始めた理由は、前回の記事で書いた政治家になるために大学に行くという目標を叶えるためでした。
また、なぜ愛知県の自動車工場にわざわざ働きに行ったかというと、知りあいの方から特別な資格や技術を持っていない人でも私の地元では考えられないような額の給料を貰えると聞いたからです。
ですが、なにも世の中の事を知らない私にとってはその話は半信半疑だったので、さっそくネットで調べたり愛知県在住の派遣業者の方に連絡をとり本当にそんなに稼ぐことができるのか調べました。
私が調べている間、親は私にそんなあまい話があるはずはないと、愛知県の自動車工場の現状を調べたわけでもないのにステレオタイプで反対してきました。確かに親の気持ちを考えると、頭ごなし的に反対することも分かります。
ですが調べた結果、本当に私でも稼げるということがわかったのです。
また同時に、特別な資格も技術も持っていない私でも自動車工場に受け入れてもらえるのかといった不安もありました。しかし、実際に業者の方に問い合わせると、受け入れのハードルも低いということがわかり愛知県へ行くことが現実をおびてきた瞬間を今でも覚えています。
自動車工場での生活
(出典:中央鋼建)
いよいよ自動車工場での生活が始まりました。しかし、工場で二交代制で働くことや車の部品を作る仕事なんて今までしたことがない私にとって、自動車工場で働くことはもの凄い不安でした。
しかし、不安はありましたがやっとみつけた目標を叶えるために、不安などいって立ち止まっていられないですし、当たり前ですが地元の仕事まで辞めて上京してきたからにはもう後には引けないないですしね。
また、私は人よりも、もの覚えが悪いので仕事で苦労をするとは初めから覚悟していましたが、やはり不安は的中し働き始めた当初はめっちゃ苦労しました。まぁ、私が覚えが悪いからしょうがないのですが、なんど握り拳をつくり、目の前の方に振りかざそうと思ったことか。
また、「この仕事を辞めてやる」と頭をよぎったこともありましたが、目標を叶えるためにどうにか耐えて早く仕事を覚えてやると自分になんども言い聞かせ、握り拳をパーの手にかえました。
そんなこんなで、どうにか数か月が過ぎた頃には部品作りの仕事にもだいぶ慣れ仕事をいろいろやらせてもらえるようになりました。仕事に慣れてきた私は、週5~6日で油にまみれて1日12時間労働(うち休憩は約90分)の二交代制シフトで約17か月間がんがん働き稼ぎました。
こんなに働けたのは、もちろん叶えたい目標が原動力になっていましたが、派遣社員の私でも高時給だったため働けば働くほど給料をたくさん貰う(給料の詳細は控えさせて頂きます)ことができたことも大きな要因でした。また、工場の仕事とは別に、バイトの時給も高かったので年末年始やたまに休日もバイトをしてとにかく貯金をしてました。
実際に愛知県の自動車工場(派遣社員)で働いてみて、自分の時間は少なくなりますが資格も技術もない人でもこんなにも稼ぐことが出来る場所が日本の中にあったのかと給料明細をみるたんびにビックリしていたことを今でも覚えています。
いま当時のことを振り返ると、親の気持ちは理解できますが親のステレオ的な意見を鵜呑みにして、愛知行きを断念していたら。
今頃おれは覇気がまったくない死んだ魚の様になっていたんじゃないかと思う。
それは凄く怖い。
この記事で伝えたいこと
周囲の声はステレオな意見であることもありうるから鵜呑みにせず、自分の目や足をつかって調べてみることの重要性が今回皆さんに伝えたかったことです。
今回得た私の哲学
「日本だったらやろうと思えばどんなことでもやれるチャンスがある国。」